【多良間島】岩手県宮古市が多良間村に「報恩の碑」を立てたその理由とは・・・

宮古諸島/ 多良間島(たらまじま)

多良間島(たらまじま)から遠く離れた岩手県宮古市との関係は今から150年以上も昔、1859年の出来事から始まりました。
宮古市の商船善宝丸が江戸から宮古に戻る途中に台風に遭い、76日間漂流して多良間島へと漂着しました。

島民は約2ヶ月間に渡り、船長や乗組員を手厚くもてなし、無事に宮古へ送り帰したそうです。
そのお礼として「報恩の碑」が建てられました。
その後も交流を深め1979年に姉妹都市として締結しました。

 


報恩の碑は多良間島南海岸に位置し、森に囲まれた「ゆがぷうランド」という公園の東側に進んだ場所に建てられています。
その広大な森が『宮古市の森』と呼ばれています。入り口には宮古市の関係と道標の看板が建てられています。

 


道標に従って進むと宮古市から送られた報恩の碑が建てられています。

 

 

この日は天気も良く、木漏れ日が差し込むトゥブリ(海への入り口)を通ると海へ出ます。
海に出ると、浸食された地形とともに宮古通漂流人上陸之地の石碑が。
古からの歴史を感じることができました。

基本情報

報恩の碑

住所沖縄県宮古郡多良間村仲筋
備考空港から3km 車で約5分

 

 

 

 

 

アクセス

WRITER

しまたび宮古諸島担当
フミ

沖縄の海に魅了され移住してきました。沖縄離島でしか味わえない時間をお届けします。